美濃焼を育てた妻木城主の史跡を訪ねる
妻木町は土岐市の中程に位置する古い城下町です。廃城になって350年ほどが過ぎていますが、今なおあちこちにその面影を残します。今日は美濃焼の歴史には欠かせない町・妻木を訪ねてみましょう。
妻木城主は、美濃源氏土岐氏の一族である土岐明智氏という豪族です。妻木をはじめ近隣の地域を治めていました。この地方を代表する美濃焼の初期の窯跡のほとんどが妻木城主の領内にあり、土岐明智氏の美濃焼振興が考えられます。
戦国時代に入ると土岐明智氏に替わってその一族である妻木氏がこの地方を治めます。妻木氏は1600年の関ヶ原の戦いで東軍(徳川家康)に味方し、その戦功により妻木をはじめ周辺の美濃焼の生産地のほとんどをその領内にもち、志野織部に代表される美濃焼の最盛期を築きました。この時期の代表的な窯跡に、元屋敷窯(土岐市泉町・国指定史跡)があります。
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妻木城跡
妻木城は妻木町を見下ろす標高四〇九mの城山の山頂に築かれた山城です。山頂に石垣などが残り、城山の山麓には御殿跡、士屋敷跡と云われる遺構が残されています。
いつ築城されたかは定かではありませんが、室町時代には土岐明智氏が、戦国時代以降は妻木氏の居城としてこの地方の中心地になりました。しかし万治元年(1658年)に城主が急死し跡継ぎが無く、妻木氏は断絶し妻木城は廃城になりました。
山頂には曲輪(くるわ)や堀切、土塁、石垣などが残り、本丸、太鼓櫓、蔵跡などの伝承が今に伝わります。また山麓には御殿跡や士屋敷などの区画が石垣とともに残されています。
近世初頭の城郭遺構が居館や家臣団の屋敷、城下町を含めて残されている例は全国的にも極めてまれで、山麓の御殿跡、士屋敷跡も含めて岐阜県史跡に指定されています。
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崇禅寺(臨済宗妙心寺派)
崇禅寺は土岐明智氏の初代頼重が文和三年(1354年)に創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。禅宗の寺院としての風格を持つ境内に歴史の重みが感じられます。
釈迦如来立像など岐阜県、土岐市指定の文化財を多数所蔵しています。
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八幡神社
八幡神社の創建は、元応元年(1319年)に美濃国守護土岐頼貞によるとも、頼貞の孫土岐明智頼重が妻木城築城後に建立したとも云われます。妻木城主の氏神として手厚く保護されてきました。流鏑馬が行われる広い参道や64段の石段の上に建つ社殿は、妻木城主の栄華が偲ばれます。絵馬など岐阜県、土岐市指定の文化財を多数所蔵しています。
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八幡神社の流鏑馬(10月第2日曜日)
流鏑馬は元和9年(1623)に妻木城主が馬1頭を寄進したことに始まると伝えられています。妻木町内から選ばれた6人の少年が、馬にまたがり参道を駆ける勇壮華麗な神事です。周辺地域からも多数の参拝者で賑わいます。
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今よみがえる戦国ロマン(妻木の文化財展 11月第1日曜日・妻木町内各所)
妻木をより多くの方に知っていただくために、毎年「妻木の文化財展」が開かれます。
崇禅寺の虫干し・八幡神社の文化財公開に合わせて文化財展や火縄銃の実演・よろい行列が行われます。
よろい行列で使われるよろいは多くが段ボールで作った手作りよろいです。知らない人はこれが紙製かと驚く見事な出来ばえです。
火縄銃とよろい行列は、戦国時代の故事をイメージして行われます。火縄銃の音と銃口からでる炎や白煙は見るものを圧倒します。歴史を体で体験するにはもってこいのイベントです。
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この他にも妻木町には多くの歴史遺産があります。郷土の歴史を後世に残し、地域の宝として文化遺産を守るために、妻木町民を中心とした「妻木城址の会」があります。妻木城跡の草刈り作業や、文化財展の実施など地域ぐるみの活動を行っています。
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